【人吉球磨刃物】
蓑毛?鍛冶屋

みの

ゆたか

雅号:友光

 

人吉市

1934年
人吉市に生誕。
中学卒業と同時に7代目のもとで鍛造技術を学ぶ。

 

蓑毛裕 氏について
蓑毛 裕 氏は、200年以上火を絶やすことなく鍛冶を続けてき人吉市の「蓑毛?鍛冶屋」の八代目として、中学卒業と同時に父である七代目 功 氏のもとで鍛造技術を学びました。
その技は、九代目 息子のみのる 氏、十代目となる孫のいさむ 氏に受け継がれ、共に仕事を行っています。

 

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人吉球磨刃物の歴史

人吉市鍛冶屋町は約800年前の鎌倉時代に作られたと言われます。
60軒程の鍛冶屋が、平時は農作業の刃物を作り、相良家のお城を修復する際にはかすがいを、戦いが始まると武具を作ったと言われています。
昭和初期まで多くの野鍛冶が集まり、球磨地方から宮崎県にかけての農村を廻って農具や山仕事用の鉈や斧などを作ったり、修理したりしていました。
人吉・球磨刃物地方は山林業が盛んで、おのなたぞうりんがまなどが主要生産品でした。現在は、包丁やアウトド用のナイフ等を中心に様々な刃物が作られています。

蓑毛裕 氏インタビュー記事(2010年頃)

熊本県南部の人吉市。相良藩時代は数十軒に及ぶ鍛冶屋を城下町に集め、戦が始まると武具を作らせていた歴史があります。人吉球磨地方には今もいくつかの鍛冶屋が点在していますが、なかでも国道219号沿いにある「蓑毛鍛冶屋」は、寛政以前の時代から数えて200年以上、火を絶やすことなく鍛冶を続けてきました。80歳後半に入った今なお現役の8代目・裕さんが鉄を鍛え、息子で9代目の稔さんがそれを仕上げます。
制作の中心は家庭用の料理包丁ですが、加えて人気を集めているのが、稔さんが考案したデザインナイフ。革鞘に収められた刃は、小型ながらカーブに沿ったシャープな刃先が鋭く光り、柄の部分の鉄がズシリと重厚感を醸し出しています。使うのが惜しくなるほど優美なデザイン性に富んでいて、昔ながらの割込み鍛造によるその切れ味に、疑う余地はありません。
今は、海上自衛隊に入隊していた孫の勇さんが、物づくりへの思いを断ち切れず退職し、人吉に戻り10代目として家業に専念しています。