とう
陶苑ふねがま


がね



 

御船町

1973年
生誕。
有田窯業大学校ロクロ科修了後、父・貞機氏に師事。
青瓷の作陶に専念する。
西部工芸展、西日本陶芸美術展、九州・山口陶磁展、日本陶芸展、日本伝統工芸展など入選。
2007年
日本伝統工芸展出品「青瓷壺」が宮内庁買い上げに。日本工芸会正会員。

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上野浩之 氏インタビュー記事(2010年頃)

ふね町の山林途中、ユニークなオブジェがいくつも点在します。これを目印に進むと「陶苑 御船窯」へと辿り着きます。ここは父・がねさださんと双子の息子がねひとさん・がねさんが、それぞれ陶芸活動を行う場所です。
兄・日人詩さんが手がけるのは、やきしめ。釉薬をかけないのが特徴で、薪を燃料とする窯で焼くことで素地に灰が降り掛かり、これがガラス質に変化して釉薬がわりとなります。この自然釉の付き方が作品に“景色”を付けていきます。
「焼き物を始めるとき、父からは“マネをせず自分でやりたいことを探しなさい”といわれました。そこで、私の場合は力強さと躍動的な魅力に惹かれて焼締を選びました」
土は熊本で八代海に面した不知火へ出向き、自ら掘って精製。
「堆積層でできた土地で、昔から“瓦屋さんが集まる場所には良い土がある”といわれています。焼締の場合は土によって個性が出るので、土選びが重要なのです」
窯焚き作業もかなりの重労働で、一度の窯焚きで体重が5キロ近くも落ちるそうです。日人詩さんみずから手作りした半地下式穴窯で4〜7日間、10分おきに30〜40本の薪をくべながら火を絶やさず焚き続けます。家族の協力なしでは出来ない作業です。
「長く焚くほど、灰のかかり具合で複雑な“景色”ができ上がります」
窯は通常の倍近くとなる7メートルもあるので、置く場所によってバリエーションが広がります。
「焼締の場合、細かな色の付き方などは焼いてみないと分かりません。そこが難しくもあり、楽しくもあります。焼締がもつ“豪快さ”と、土のもつ“優しさ”をうまく融合させて、いろんな焼き方や形に挑戦したいですね」
一方、日人夢さんが手がける青瓷(せいじ)は、高貴な柔らかさと深みを感じさせます。青瓷との出合いで、陶芸への志が大きく変わったといいます。
「それまでは父親の手伝い程度に考えていましたが、26歳で青瓷と出合ってからは、これでやっていこうと決めました。創作に関しては、青瓷以外に興味がありません」
「青瓷を始めるとき、陶芸の諸先生方から“青瓷はとても難しく、作業を覚えるだけで10年はかかる”と止められました。でも、それなら逆にやってみたいと思って。」すべて独学で試行錯誤を重ねてきました。
青瓷の焼き方は独特で、釉薬を何度もかけて厚みを付けます。高層ビルに使われている厚いガラスのようなイメージです。通常の素地の厚さでは重くなりすぎるため、限界の薄さまでロクロを挽きます。
「かなり神経を使いますね」
その上から6回、中と外に釉薬をかけ、1回かけては乾燥させ、またかけるという繰り返し。この手間が、深みのある乳青色を生み出します。
「釉薬が分厚いぶん、焼いている途中ではがれたり、ガスが抜けきれずに気泡が浮き出てしまったり。20〜30個近く作って使い物になるのは1個程度です」
青瓷は、品格が命。釉薬や土など、全てにおいて良質なものだけを使います。
「釉薬や焼き方一つで色もツヤも変わります。壺や鉢など昔ながらの物を通じて、新しさを追究していきたいですね」