あまくさとう
たかはまやき

うえ


寿

 

天草市

うえとうせき
たかはまやき 寿じゅほうがま

 

 

1762年(宝暦12年)
第6代伝五右衛門武弼、高浜皿山(鷹の巣)で焼物を始める。
1771年(明和8年)
平賀源内「陶器工夫書」の中で天草陶石を称賛する。
1777年(安永6年)
長崎奉行の薦めで、オランダ人向けに長崎出島で赤絵磁器を販売。
1804年(文化4年)
第7代源太夫宜珍、瀬戸の陶工加藤民吉に高浜焼の技法を授ける。
1988年
焼物工場を改築。
1997年
上田資料館完成。代表 上田萬寿夫 氏。

 

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上田陶石 高浜焼 寿芳窯 インタビュー記事(2010年頃)

有田焼をはじめとする日本の磁器原料の約80%は熊本県天草下島西部に分布する天草陶石です。この天草陶石を採掘・出荷している「上田陶石合資会社」が、自社で扱う中でも最上級に純度の高い天草陶石だけを用いて作っているのが、「高浜焼 寿芳窯」の磁器です。
天草陶石は粉砕が比較的簡単で、他の原料を使わず同石だけで磁器を作ることができます。透明感と強度があり、硬い製品ができるので和洋食器いずれにも使いやすい原料として全国的に有名です。
「敷地内にはかつて線路が走り、陶石を運ぶための馬車が山を往来しました」とは、工場長の古田寿昭さん。
代々、天草陶石を供給してきた上田家。同石が陶磁器原料として優良であると聞いた6代目は肥前長与の陶工・山道喜右衛門を招いて1762年から高浜村鷹の巣山で焼き物を開始しました。これが高浜焼の元祖といわています。
当時の作品は赤・青・緑に紫といった色彩豊かな絵付けで九谷焼にも似ています。1777年、五島に居留していたオランダ人との貿易も行われており、その後、7代目〜10代目にかけては白肌に呉須(ごす)の冴えた藍色だけを用いて下絵を施したものへと移り、現在もこのスタイルが絵付けの中心となっています。
焼物の工場と隣接する上田資料館には古文書や天草陶石を使った器を時代別に展示しています。近年はこの歴史的資料をもとに、代々残されてきた古典文様の復刻にも挑戦しています。
スペインの絵皿を思わせるアーティスティックな文様や、松の葉のように広がる緑藻“海松(みる)”文様の皿など、いずれも数百年前のものとは思えないほどモダンなデザインばかり。他の文様の復興にも期待が高まります。