しょうだいやき
たいへいがま

さか




 

玉名郡

 

坂井理知子 氏インタビュー記事(2010年頃)

小代焼の繁栄を築いたせのうえがまかめやきがまあとが、玉名郡南関町宮尾に残されています。この地に思いを寄せ、たいへいがまの初代・岱平(政治)さんが築窯したのは1970年のことです。
1983年以降は、それまでの単窯から「割竹式登り窯」へと変わり、古式の小代焼特有の素朴で力感にあふれる作品づくりが行われてきました。
しかし、1986年岱平さんは他界後、跡を継ぐ決心を固めたという博樹さん。高校を卒業後2年間、天草の窯元・丸尾焼で修行。
開窯のころから先代の作陶をサポートし小代焼のいろはを体で覚えてきた心強い存在の母・理知子さんと共に作陶。
すべて手作りとあって、材料の準備までに手間がかかります。土濾しは毎日の繰り返し。小岱山から掘り出した鉄分の多い粘土を乾かして小さく砕き、水を張ったタンクに入れ一昼夜沈めます。その後沈殿した良い部分だけを取り出し水分を切り、昔ながらの土瓦の上に粘土を乗せて天日で乾燥させます。釉薬も手作りで、青、白、黄色が基本色。原料は山から切り出した熊笹やワラを燃やした灰といった自然のもので、同じ釉薬でも使う灰によってまったく違う雰囲気になります。さらには松や杉などの薪を整理する作業も一苦労。これらを整理しながらロクロ作業。成型した後は素焼きを経て30時間以上も要する焼成を年間4回ほど行っています。
「無から作品が生み出されていく過程は本当に楽しいですね。」と博樹さんは理知子さんと笑います。自然の恩恵に感謝しながら、今日も親子で力を合わせて器作りに励んでいます。