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八代市
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高田焼上野窯の歴史
高田焼上野窯について
高田焼上野家初代 、尊楷(後の上野喜蔵)は、加藤清正に従い朝鮮半島から渡来した陶工で細川家の家人として豊前国上野村(現:福岡県田川郡福智町赤池上野字釜の口)に窯を開きました。寛永9年(1632年)に、細川家の肥後入国に伴い八代郡高田村に移り築窯、熊本藩の御用窯を担ってきました。以後、分家して三家となりましたが、明治時代に分家は廃窯、本家は1892年に窯を日奈久に移し現在までその伝統を守り続けています。
受け継がれる伝統 高田焼上野窯 家系略図
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上野浩 氏インタビュー記事(2023年1月頃)
上野 浩之 氏は、420年にわたる伝統を守り継ぐ高田焼宗家上野窯の十二代 当主で、十三代目となる息子の 浩平 氏と共に作陶を続けています。有田工業高校窯業科へ進学し、「突き進むしかない」という強い思いを胸に陶芸の道を歩んできました。以前、坂本寧 氏(※1)から「お父さんよりも一つでも多く、一日でも早く優れたものを作るのがあなたの使命だと言われたことはとてもはげみになった」と語ります。伝統工芸に目を向けてもらうにはその良さを知らせる努力が必要との思いから、東京などで展示会も開催しています。
※1 坂本善三美術館名誉館長 医師、画家で坂本善三 氏に師事。
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上野浩之 氏インタビュー記事(2010年頃)
「
繊細華麗な描線で花鳥風月を表現する高田焼は、土作りの難しさと象嵌という特殊な技法により大変な手間を要するため、少量しか生産できません。だからこそ希少性があり、この伝統技法の継承に誇りをもつ陶工たちの手で大切に守られてきました。「
数ある工程の中でも、とくに重要なのが土作りといわれます。
現在、息子・浩平さんが13代目を継承。東京藝術大学で彫金を学び、焼き物作りの道へ。「焼き物以外の技術を吸収することで作品に広がりが生まれると思って」。その経験は現在の活動に十分生かされています。「伝統文様以外にも幾何学文様といった抽象的な文様を取り入れ、同年代にも共感してもらえるオリジナルデザインにも取り組んでいます。高田焼は敷居が高いイメージがありますが、クオリティを保ちつつ気楽に扱える器づくりを試行錯誤しています」。それぞれの視点から高田焼の可能性を探る親子の活躍が楽しみです。
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