らんく ちょうこく
ちょうく どう

とく
なが
まさ

 

熊本市

1938年
熊本県に生誕。
水道町で彫刻店を営んでいた父の影響を受け、現在は熊本市石原に「彫美堂」を構える
廃業。

 

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福島友博 氏インタビュー記事(2010年頃)

室町時代以降、武家屋敷を中心に広まった欄間彫刻は、明治中期に入ると一般庶民の家にも普及し始めた。熊本で唯一、籠(かご)彫りの欄間彫刻を手がけているのが、徳永政男さんだ。
「12歳のころから毎日ノコギリで木を切る“引き回し”の手伝いをしていました。父のもとにいた職人たちさえ嫌がる仕事でしたから、とにかく最初はキツくて(笑)。でも、合間に職人の技を見て覚え、高校を卒業するころには彫刻が出来るようになりました」
さらに腕を上げたいと、籠彫りの本場である北陸で流れ職人として3年間技を磨いた。
籠彫りは、古来から寺社の柱上部にあるたばさみという物などに使われる立体的な彫刻技法。通常の欄間よりも厚い12センチほどの板材に絵柄を彫り、隙間に極細のノミをくぐらせながら別の模様を掘っていく。彫刻が複雑な籠状に重なりあい、何枚もの彫刻を貼り合わせたように見える。これだけ高度な技をもつのは、九州で徳永さんしかいないといわれるほどだ。しかし、それだけの腕をもちながら、日展をはじめとする公募展に応募したことは、ないという。
欄間に用いる木材は屋久杉が理想だが、あまりに高価なため、肌目のよく似たベニヒ(紅檜)を台湾まで買付に行っていた。
工程は、まず板の幅や厚さ、長さを決めて製材した後、3年以上かけて自然乾燥。木の表面に墨で下絵を描き、不用部分を自ら開発した糸ノコミシンで切り抜く。そのあと木槌と叩きノミで荒彫りし、さらに彫刻刀で細かく彫り上げていく。作業の早い徳永さんでさえ、1組の欄間を彫り上げるのに3カ月はかかるという。入り組んだ彫刻の隙間にノミを通し、別の模様を彫る作業は神業にも近い。彫り損ねて接着剤で補おうとしてもつなぎ目が見えるため、一彫りたりとも油断はできない。
「生活様式の変化で日本建築が少なくなり、残念ですが欄間の需要はますます減るでしょうね」
腕を見込んで仏像などの依頼もあるが、今のところ跡取りもいないという。1枚の板に新たな息吹を与え、絢爛豪華な作品へと生まれ変わる技が途絶えてしまうのは、あまりに惜しい気がしてならない。