麻生翼 氏インタビュー記事(2010年頃)
20代前半のころ、麻生さんは日本で働きながら自分には何ができるかと模索していました。ちょうどそのころ、アメリカで彫金をする場所を見つけて渡米しました。彫金の学校に入学して間もなく、学校の講師の一人から声を掛けられ、その講師の会社で彫金の仕事を始めたそうです。「日本にいた時は、それほど気に留めなかった地元・熊本でしたが、アメリカにいると日本のことを聞かれることが多く、自分でも日本ってどういう国だったかと興味を持つようになりました」そして5年間の滞在の後、日本への関心を強く持ったまま熊本へと戻りました。麻生さんがこれからも追い求めるのは、何にでも合わせられるもの。工芸士であって作家ではない麻生さんは、自分の評判や複雑な装飾に興味はありません。いかにシンプルに作り、いかに完成度を上げて作ることができるのかに意味があるとのこと。また、豪華なものや加飾されたものというのは際限がありませんが、シンプルさにも同じことが言えると麻生さんは語ります。どこまでそぎ落としていったとしても、そこが最終地点かというと首をひねります。豪華なものにも最大限という最終地点はありませんが、シンプルという最小限にも最終地点はない。だからこそ、目指すだけの価値があるのかもしれません。