江戸時代から鍛冶屋として熊本城に刀鐔を納めてきた大住家。廃刀令以降の1874年「肥後象嵌 光助」として創業しました。その伝統を受け継ぐのが4代目の大住裕司さんです。「肥後鐔が全国的に名を馳せた江戸時代、坪井という町に象がん師が集められていたんです。大住家も京都から移り住み、廃刀令のあとに現在の屋号で店を始めたのが明治から。熊本は良い砂鉄に恵まれていたことも、象がん技術が栄えた理由の一つでしょうね」。有名メーカーとタイアップした万年筆や腕時計など、異業種との商品開発も積極的に行っています。海外、とくに中国からの観光客に向けた新商品作りや象がんづくりの体験会など大忙しです。先代たちの腕も確かで受賞歴は数えきれないほどありますが、あくまで商売人として使い手第一主義を貫いてきた大住家。「作家肌と職人肌に分かれると思うのですが、大住家の場合は、一般の方に使って喜んでいただけるための商品づくりを目指す職人肌の家系ですね」。大学を出た後、東京で会社員をしていた大住さんですが、スキー中に大ケガをして長期休養することに。「会社を辞めて、熊本で治療することになったんです。あの事故がなかったら会社員を続けていたかもしれません」。山形県の大学教授と共に漆の技術を共同開発したり、ステンレスやチタンなど新しい素材と組み合わせた新商品開発のため、遠方にまで足を運んでいます。「新商品の開発すべてを私が行っています。今はまだ不景気だから、他の業界の皆さんも何かを探している。逆に言えば不景気のときこそ新しいアイデアや商品を生み出すチャンスなんですよ。時代のニーズに合わせながら伝統を守り続けていきたいです」。