1965年に肥後象がん師・米光太平氏が重要無形文化財(人間国宝)に指定されて以来、第二の興隆期を迎えた肥後象がんの歴史。ちょうどその頃に米光氏から手ほどきを受けた技を今に伝えているのが河口知明さんです。幼い頃から手先が器用だったこともあり、親の勧めで米光氏へ弟子入り。「10代でこの道に入りましたが、当時、同世代の間で肥後象がんの知名度は低く、自分の仕事を説明するのに一苦労しました」。ネクタイピンから肥後六花をモチーフに女子プロゴルフの優勝記念の額まで、さまざまな作品を手がけます。例えばオーダーの場合、依頼主の要望を元にまずは筆で図案を起こします。鉄生地の上に紙を置いて肥後象がんの布目切り(素地にタガネで布目状の切り込みを入れる。)を行い、型で抜いた金銀の板や金線、銀線を打ち込んでいきます。型は葉や花、家紋など一つひとつ手作りで、1回限りしか使われない型も少なくありません。鉛の上に金や銀の板を当て、上から型を叩いて絵柄を抜き出していきますが、力加減が難しいため準備だけでも一苦労。象がん技法としては現在布目象がんが一般的です、河口さんが得意とするのは、鉄生地の表面を彫り下げ、高肉に彫刻した別の金属をはめ込む高度な据紋技法。嵌め込まれた花鳥風月の絵柄は本物のように立体感があり、異なる金属が合わさったとは思えないほど一体感があります。古い鐔の修理も手がけていますが、そこには据紋や平象がんといったさまざまな技法が使われていますから、これらを習得していないと修理もできません。まともな道具がなかった時代にこれだけの高い技術を発揮した先人たちの技を守り続けたいですね」。