県北の山鹿市東部・鹿本町来民で作られてきた来民渋うちわ。来民は、京都や四国丸亀と共にうちわの三大産地といわれていました。慶長5年(1600年)、四国丸亀の旅僧が一宿の謝礼としてうちわの製法を伝授したのが来民渋うちわの始まりといわれています。山鹿地域は山鹿灯籠を制作するための堅牢な和紙の産地であることに加えて、竹林が豊かな土地柄。当時の藩主細川公が渋うちわの製造を奨励し、この地の主要産業となっていきました。最盛期には16軒の店で年間500万本も生産されていたといわれますが、現在来民うちわを製造しているのは栗川商店だけとなりました。表面を柿渋で塗った来民渋うちわは、純粋に柿渋だけを引いた薄茶色で「白渋」と表現されます。和紙の張り方は、骨全体に和紙を張って骨を隠した「元張り」。原料は、阿蘇外輪山の山林に繁茂する7寸以上の真竹、手漉きの和紙に生麩糊、仕上げは柿渋・ワニス・漆・染料と、いずれも昔ながらのものです。工程は、竹を細かく割いて扇状に開き、柄を塗ったり染めたりした後、割いた竹を糸で編み付けて固定。これに和紙を張って干し、うちわの形にカットして柿渋で仕上げます。渋うちわは柿渋を塗ることで和紙をコーティングし、柿渋に含まれるタンニンが防虫効果を発揮し、100年でも使える丈夫なうちわになります。年月を重ねることによって、渋うちわの色合いは風格を帯びていきます。