【きじうまはなばこいた

すみ
おか
きょう

がん

せい
さく
しょ


すみ
おか
ただ
よし

 

人吉市

1935年(昭和10年)
人吉市に生誕。
明治後半に初代・住岡喜太郎氏がきじ馬、花手箱などの郷土玩具を復興。
2代目・忠嘉氏は小学生のころから父の仕事を手伝い始める。
1955年
20歳から本格的に製作を開始する。
1988年
くらしの工芸展入選。
1989年・1990年
日本グッド・トイ100選に「キジ馬」と「花手箱」が連続選定、同年に木工芸品コンクール入賞。
九州自動車道の人吉?八代間、肥後トンネル入口(人吉側)にきじ馬と椿をデザインする。

 

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住岡忠嘉 氏インタビュー記事(2010年頃)

約800年前から始まったといわれる人吉球磨地方ではなじみ深い郷土玩具のきじ馬・花手箱・羽子板。一時は廃れようとしていたこの郷土玩具を、初代・住岡喜太郎さんが苦労の末に復興しました。現在はその意志を受け継ぎ、2代目の忠嘉(ただよし)さんがきじ馬をはじめとする木工を担当。妻・るり子さんと長女・久美子さんは色付けなど、家族それぞれが得意分野を生かして作り続けています。
きじ馬やうずら車の胴に使う木材は桐が中心。車輪には年輪が男らしさを象徴するという松を使い、パーツによって木を使い分けます。それぞれ5年ほど寝かせて十分に乾燥さ、割れるのを防ぎます。どう切り込むかが姿に影響するため、木取りと切り出しには神経を遣います。
「きじ馬作りで一番難しいのが車輪。これがキチンと回転するよう芯に竹の棒を入れ、胴に溝を入れて固定させます」。
額に刻まれた「大」の字に子供の成長の願いを込め、端午の節句に飾られているというきじ馬。
「大きなきじ馬は、新築祝いや開店祝いに贈ると、人が集まると喜ばれていますよ」と、るい子さん。
また、黒い縁どりと白地に描かれた鮮やかな椿が特徴の花手箱は、要望に応じて花の大きさや数・配色を変えたりと注文にも応じてもらえます。
箱形に組んだ木を接着剤が乾くまで固定したあと絵付けを施していきますが、顔料に代わって現在使われてるのは、小さい子どもが誤って舐めてしまっても害のない水性絵の具。色の塗り方にも決まった順番があり、乾けばほとんど色落ちすることはないそうです。
昔ながらの手法を守りつつ、きじ馬はキーホルダーやタイピン、耳かきに。花手箱は筆箱や箸入れ、ティッシュケースにと、現代のニーズに合わせた商品を開発。
こうして形を変えながらも継承することこそ、伝統工芸の本来の姿といえます。